20190411

昨年末にアルフォンソ・キュアロンの『ローマ』を観た

間違いなく自分の中の2018年ベストムービーの3本には入る(あとは『きみの鳥はうたえる』『ファントム・スレッド』)のだが、先日映画館で再び鑑賞し、さらに感銘を受けた

私はつい先日「L'informe」という名前の映画をテーマにしたzineを作った際、自分のページにて『ローマ』について書いたのだが、それに加筆してここに記録しておく

 

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 ひかりが眩しい映画につい魅かれる。『ローマ』はまさにそんな映画だった。

モノクロの美しさは太陽の光や水の揺蕩う様子で際立つ。その映し方が素晴らしくそれだけで涙が溢れた。

 

本作品は一言でまとめるならお金持ちの豪邸に仕えるベトナム系の家政婦の話。

でも私はもっとぴったりな言葉を知ってる。

 

「生活史」だ。

たとえ街でデモが起きていようと、人が死のうと、それぞれの「生活」は確かにある。何も起きていないように見せるようで、あんまりにも多くのことが、その時そのひとには確かに起きているのだ。

私だってニュースで遠くの町で災害が起きたとか、はたまた近くで人が殺されたとか、議員が失言をしたとか、ビルが燃えてたとか、そんなのを日常的に見る。けど、そのとき私は、頑張って付き合っていた恋人と別れたり、友と些細なことで口論していたり、バイト先でてきとうに手に取った本で感動していたり、なにかが、必ず、起きているのだ。

 

そして人がいつ、どこで、どんな瞬間にそれまで押し殺していた感情が溢れるかなんて他人には所詮わからない。もしかしたら自分自身にもわからない。誰にでも必ずあるはず、突然涙が出てしまう瞬間。それまで我慢して持って歩き続けた大きな荷物を下ろしてしまう瞬間だ。

 

映画はそういう瞬間を捉えるより、明らかに悲しい時に涙をクロースアップした方がわかりやすいし、現にそんな映画ばっかりで、私たちはいつからかこころの準備があまりにも出来すぎている。

 

だからこそこの作品はあんまりにもよかった。

ある意味わかりやすい、けれど些細すぎて、みんながわざわざとらえないようなことをこの作品はたしかに、やさしく、けれど鋭く、映していたのだ。

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映画館で観て、とにかく驚いたのは音だった 初めから最後まで流れ続ける水の音

アップリンク吉祥寺で観たのですが、『ローマ』上映の際、音響についてかなり宣伝していたし、実際すごかった)

病院にいるときの地震のシーン、そしてデモのシーンでの臨場感には圧倒された

『ローマ』は横へ横へ長回ししているのが印象的だが、初めのシーンと最後のシーンは上へ回る

それはまるで初めのシーンではクレオが子どもとふざけたように「死ぬの好きよ」などとおどけていたところから、死を見つめ、克服するかのようだった

 

zineを手にとってくれた知り合いがちょうど映画館で『ローマ』を観た帰りにバイト先に寄ってくれた際立ち話をしていると、

「ROMAは逆に読むとAMORなんだよね」と教えてくれた

 

観れば観るほどきっとまた好きになると思う