20190627

私には大した文体がない
ここ数年気づけばずっと男に縋っていた 付き合う付き合わない別にして必ず隣には男がいつもいた いろんなひと いろんな国の人 いろんな職業 いろんな年齢 よりどりみどりだね だから大丈夫だった
五月、珍しく体調を崩しそのタイミングで恋人と別れた なんとなくベストタイミングだった
それから暫くひとりを愉しんだ いまも 

大体定期的に会う男はいまだにいるし毎日連絡を取る男もいる なんとなく好きな男もいるし会いたいのに会えなくてむしゃくしゃしちゃうような男もいる 会いたくないけど昔お世話になったからという理由で会う男もいる 大好きな男ともだちもたくさんいる みんな違ってみんないい 散漫的でいい それがいい

結局私はひとりになりきれない それでも以前よりはずっとひとりが好きになってきた
誰でもいいから助けてほしいと喚いてたころに比べて精神も安定し酒も減った 

遊び狂わなければいまを生きていることにならないとずっとずっと思っていた 大して魅力もない、いやあるかな どうかな な自分が生きていると確かめるにはいまどれだけたのしんでいるかを現すことだけが手段だと思っていた その帰結が酒  
私は男であれ女であれ対話がしたいだけだった 朝まで対話ができるかどうか きみの文体が知りたいってワケ その手段が酒ってワケ

 

たまに就職活動をしてそれ以外は本を読みどんな論文を書こうか考えている バイトの帰りもひとと飲むわけではなく帰り道のカクヤスで缶ビール(夏はアサヒですね、夏にエビスやサッポロを買うひととは仲良くなりたくないね)を買ってそれを片手に20分くらいの道のりを好きな音楽を聴いて帰るのがいまは大好き
週に一度、おじいちゃんの家に行ってご飯を作ったり綺麗な庭にホースで思い切り水をぶちまけたりする これも大好き いまいちばん好きな時間かも 何度も何度も同じようなことを繰り返していて、私はつくづく相手にやさしくできないんだなと思う みんなに対しておじいちゃんにやさしくするくらいやさしくできたらどれだけいいだろう なんて考えたりする こころが狭いから無理だけど
強がってばかりだけど私みんなと仲直りしたくなるときもある、ごめんねって言えたらイイのにね

やっぱり自分がいちばん分からなくて面白い 私は私の文体が知りたいがために生きてるんじゃないか 他人はそれを知るための手段だ

20190605

ここ数週間は平日はなるべく飲まないようにして映画を観るか中間発表の準備をしているのでなんだか気持ちが安定している、なるべく続けたい

 

5月最後の金曜日の夜は最近行くようになったカフェの上のギャラリーで映画の上映会をした 店主の方には感謝でいっぱい…真っ白な壁にプロジェクターで映して、大きな音で、お酒を飲みながら映画を観るのはとても気分が良かった
こういうの夢とまではいかないけどやってみたかったことだったからうれしかったな
自分の好きなひとたちを呼んで、その友人たちがつながるのも見ていてうれしかった
映画は『スローなブギにしてくれ』で、私が80年代の邦画にハマっているからというだけの超てきとーな感じで選んだんだけど、こういうてきとーさっていいよね〜楽

映画自体はまあまあだったけど(山崎努が飲み屋でひとり泥酔して、店の人に心配されたとき「大丈夫!大丈夫!」と連呼しながらお猪口を倒すシーンは結構良かった)私は普段映画はひとりで観てばかりだからたまにこうやって数人で観ると面白いなあと思う、5人ほどっていうのも良かったのかも、空間的に
そういえばアメリカにいた時は映画館でみんな声出して笑ってたけど日本はないよね、ミニシアターでならたまにあるけど

話を戻して映画が終わった後の雑談が良かった
私たちはそれぞれの分野をたとえ専門にしていないにせよ、語る権利はあるし、もっと語れる場があればいいと思う
空間をつくるのって面白いなと思った、またやりたいね〜

 

 

20190521

先週末から、いや本当のところは先々週からずっと体調が悪く、ここ数日はずっと眠っている
3年周期くらいでストレスが原因でいろんな病気にかかる
ストレスは目に見えないから怖い、あとお前はメンタルが弱い認定されているようで、その度に気分が悪くなるし、落ち込み、焦り、余計に治りが遅くなる
やらなければいけないことをほとんど無視している数日間はある意味うれしいが不安は倍募る
もうこのまま一生外に出たくないと心底思う、でも同じくらい早く外に出たい、なにかに置いていかれそうな気がして怖いから
こういう時にうまくひとに頼れるひとが健康といえるのかもしれない
けど私は絶対に他人に頼りたくない、頼ったところで相手が何をしてくれるかなんてわからないし、たいていの場合は何にもしてくれない
そもそも自分の本当につらい原因なんてわかっていてそれは結局他人がどうこうして解消できるものではないこともわかりきってる
自分の弱いところを他人に見せることは恥だと思う、だからこういう時はひたすらじっと映画を観るに限る

映画は孤独だけど孤独じゃない

 

最近はウエルズの『謎のストレンジャー』(ラストが笑える)、ジャック・ドゥミの『天使の入江』(音楽が最高、これもラストが茶番で良い)、『ファンタスティック・プラネット』(やっと観た)、タルコフスキーノスタルジア』(横移動の長回しのオンパレードでうれしくなった)、松本清張原作『砂の器』(久しぶりに映画で泣いた)などを観た

 

あとは写美でガレルの『もうギターは聞こえない』を観た
ガレルが彼にとってのミューズであったニコに捧げた作品、若さゆえに努力なしで手に入るもの(あるいは手に入ると錯覚しているのかもしれない)は、老いと共に自分の手でしっかりと掴まずには「生活」に奪われるのだと
とてもよかった

私はいつまで若さにすがっていられるんだろうか

 

 

20190502

ゴールデンウィーク折り返し

初日は母校の校舎でのイベントのお手伝いしてそのまま打ち上げ

フラワーアレンジメントがめちゃくちゃ!可愛かった…

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6歳上の先輩たちが企画したイベントだったんだけど、こういうのに誘ってもらえるのってとってもうれしい(でも圧倒的年下だから幼児退行が加速する…)
私の母校は中高一貫で一クラス30人くらいしかいないからだいたいみんな知り合いって感じ(しかも寮だったし)なんだけど、卒業後もこうして会えることはまああんまりなくて、その分私は恵まれてる、みんなやってることはそれぞれ(本当にそれぞれすぎる、畑だったりデザインだったりブランド動かしてたり)会うと必ず大人ってかっこいいって素直に思う

 

好きなことを生業にしているのがベストだと私は思っているけど、そうじゃなくても好きなことにつねに関わって生活しているひとはやっぱり顔がいきいきしているし、健康的だ 母校は嫌いだけどこういう形で上の学年のひとたちによくしてもらえるのはうれしいしすごく刺激になる イベント自体もとってもよくって大好きな校舎に溶け込む音楽、すごく良かった

www.youtube.com

この曲とっても良かった…

 

月曜から水曜までは親がいる別荘にともだちと

よくわからん公園でハンモックしたり、雨の中露天風呂に入ったり、海辺でスケボーしたり、超リフレッシュした…
超くだらないし当たり前なんだけどデカい肉とかお刺身でお腹いっぱいになれるのってしあわせだよね〜普段飲んだくれの外食ばっかりなので、改めて実家って最高だなって思った(というかパパに圧倒的感謝なんだけど)

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別荘には野良猫が超あつまる、全員かわいい

 

別荘にはテレビがないし電波も悪いからあんまりケータイも見ないんだけどそういえば知らぬ間(というかその時にはすでに爆睡してたんだけど)令和になってた
パーティーはしたい時にすればいいのにね
私はそうします

健康的なゴールデンウィーク、あー毎日が休日だったらいいのにね!

 

 

20190421

今週観た映画の話を走り書き

 

14武蔵小金井映画祭にて『KOTOKO』鑑賞

震災に関係のない作品に思っていたが監督ご本人のアフタートークによりなるほどと思う なにも他人事じゃないと

塚本監督は思っていた以上に聡明で思いやりがある方なのだと感じた 傷に対する表象

その後から『野火』『鉄男』を観る

野火についても同じような感想 鉄男を観てコマ撮りしたくなる (これは余談だが塚本作品は観続けるとだんだんとグロさがもはや笑えてくる、鉄男にかんしては終始面白い)

 

しばらく気になっていたアメリカの対日プロパガンダ映画『汝の敵日本を知れ』を観る

映画としては観れたもんじゃないが資料としては重要なのだろう いわゆるプロパガンダ映画はいくつか観たことがあるが、対日ということで身近に感じた それにしても圧倒的悪口!!!(たとえば、日本の軍人はいつもぶかぶかの服を着ていて動きづらそうだとか、白米だけで大喜びだ!とか)って感じがして現代からすると結構笑える しかしそんなのでお終いにしててはならぬのでここはもう少し自分の中で考えたい

 

思えばしばらく特に三月は忙しく精神的にくるものが多くあり映画を全く観れていなかった 生活に余裕ができてきてうれしい限り

 

金曜日の夜はバイトを休み、夜に大好きな喫茶店へ向かう ほんとうにいい場所で落ち着く こういう環境を大事にしていたい イイ大人と出会って私はイイ大人にいつかなれたらいいよね 知らないけどさー

 

茶店の二階のスペースでプロジェクターを下げ、7人で『青春の殺人者』を観る 水谷豊の若さたるや そして桃井かおりいつでてきた?!ってなる ショーケンの追悼でもあったね

かなり低予算な感じがしたが、スナックを燃やすシーンは圧巻 拍手したくなった 「燃やすシーンは最高だ」と話していたらとなりのよくわからん常連ジジイが「いつかなんか燃やしそうだな!」と言ってきたがこういうのまじでうるさいよな そうじゃないっつの 

 

 

このような雑な感想しか書けない やることとやらなくちゃいけないことが多くてなにかを見失いそうだ 大抵こんなときは見失ったあとに気付くものだろう バカな私は気付かぬまま明日もせっせと生活をこなす 

 

20190411

昨年末にアルフォンソ・キュアロンの『ローマ』を観た

間違いなく自分の中の2018年ベストムービーの3本には入る(あとは『きみの鳥はうたえる』『ファントム・スレッド』)のだが、先日映画館で再び鑑賞し、さらに感銘を受けた

私はつい先日「L'informe」という名前の映画をテーマにしたzineを作った際、自分のページにて『ローマ』について書いたのだが、それに加筆してここに記録しておく

 

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 ひかりが眩しい映画につい魅かれる。『ローマ』はまさにそんな映画だった。

モノクロの美しさは太陽の光や水の揺蕩う様子で際立つ。その映し方が素晴らしくそれだけで涙が溢れた。

 

本作品は一言でまとめるならお金持ちの豪邸に仕えるベトナム系の家政婦の話。

でも私はもっとぴったりな言葉を知ってる。

 

「生活史」だ。

たとえ街でデモが起きていようと、人が死のうと、それぞれの「生活」は確かにある。何も起きていないように見せるようで、あんまりにも多くのことが、その時そのひとには確かに起きているのだ。

私だってニュースで遠くの町で災害が起きたとか、はたまた近くで人が殺されたとか、議員が失言をしたとか、ビルが燃えてたとか、そんなのを日常的に見る。けど、そのとき私は、頑張って付き合っていた恋人と別れたり、友と些細なことで口論していたり、バイト先でてきとうに手に取った本で感動していたり、なにかが、必ず、起きているのだ。

 

そして人がいつ、どこで、どんな瞬間にそれまで押し殺していた感情が溢れるかなんて他人には所詮わからない。もしかしたら自分自身にもわからない。誰にでも必ずあるはず、突然涙が出てしまう瞬間。それまで我慢して持って歩き続けた大きな荷物を下ろしてしまう瞬間だ。

 

映画はそういう瞬間を捉えるより、明らかに悲しい時に涙をクロースアップした方がわかりやすいし、現にそんな映画ばっかりで、私たちはいつからかこころの準備があまりにも出来すぎている。

 

だからこそこの作品はあんまりにもよかった。

ある意味わかりやすい、けれど些細すぎて、みんながわざわざとらえないようなことをこの作品はたしかに、やさしく、けれど鋭く、映していたのだ。

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映画館で観て、とにかく驚いたのは音だった 初めから最後まで流れ続ける水の音

アップリンク吉祥寺で観たのですが、『ローマ』上映の際、音響についてかなり宣伝していたし、実際すごかった)

病院にいるときの地震のシーン、そしてデモのシーンでの臨場感には圧倒された

『ローマ』は横へ横へ長回ししているのが印象的だが、初めのシーンと最後のシーンは上へ回る

それはまるで初めのシーンではクレオが子どもとふざけたように「死ぬの好きよ」などとおどけていたところから、死を見つめ、克服するかのようだった

 

zineを手にとってくれた知り合いがちょうど映画館で『ローマ』を観た帰りにバイト先に寄ってくれた際立ち話をしていると、

「ROMAは逆に読むとAMORなんだよね」と教えてくれた

 

観れば観るほどきっとまた好きになると思う

 

 

 

 

20190221

長らく楽しみにしていたアッバス・キアロスタミのリマスターがリリースされ、早速ジグザグ道三部作(『友だちのうちはどこ?』『そして人生はつづく』『オリーブの林をぬけて』)を観たが本当に素晴らしかった

久しぶりに映画というものそれ自体に感動するような体験をし高揚した

なかでも二作目の『そして人生はつづく』は(蓮實重彦も言うように確かに)完全に打ちのめされるようなものだった

ああ映画には本当にすごい力があるのだ、と

 

本作は一作目の『友だちのうちはどこ?』の主人公の少年の住むイランのある地域が1990年、大震災(三万人もが亡くなったらしい)に襲われ、キアロスタミは自身の息子とともに、その少年の安否を確認しに行くといった物語なのだが、ドキュメンタリーではないドキュメンタリーオマージュの技法がすごい(うまい言い方あればよかったけど語彙力ないから無理)

どこまでが現実か、どこまでがキアロスタミがセッティングしたのかわからなくなる

老人が言う「映画だって嘘じゃない」というセリフそれ自体がキアロスタミが言わせているのか、あるいは老人自身が意志を持って発した言葉なのか分からず、ひやっとする

そんなシーンがめちゃくちゃ多い

そしてもちろん震災直後の「いま」の状況が愚直に映されているそれは鑑賞者に衝撃を与える

しかし、震災が起きても人々の生活はもちろん営まれているわけで、当たり前に4年に1度のW杯を楽しみにしている人たちがいる

愚直というのは失礼だろうか、しかし大震災が起きたところでも、やっぱりそれぞれ生きるためには水を汲み、薪をくべなくてはならない、そしてサッカー試合を待ち遠しにしている子どももいるのだ

 

この映画を観る前日、私は知り合いとたまたま飲んでいて、東日本大震災の話になった

まず、そもそもに、「あの時何してた?」なんて話がもうできるように(8年という時間の経過、そして私の成長、当時はまだ高校生だったからそんな話はできない)なったのかという驚きがあった

知り合いの出身地は宮城でちょうど震源も近く津波も目の当たりにしたという

怖かったけどねと言いながら知人を助けた際の話をユーモアを入れて話していた 震災直後は到底出来なかったことなんじゃないかと思った

私はそれに比べれば東京の当時通っていた学校にいたわけで、程度の差はかなりあるのでだからこそそういう話は苦手だった(怖くなかったといえば嘘になるが、怖かったといえば、言い過ぎなのではないかと思ってしまう、だって私より怖い思いをした人がいるわけなんだから)

しかし、当時私の両親は海外にいてBBCから流れる津波の動画を見てかなりのショックを受け、東京という(まだ安全ではある方だろう)場所から急遽私と姉を呼び出し、私たちは震災の一週間後くらいにすぐに日本から離れた

経験せずともその動画は永遠に頭の中に流れ続け、本当に辛かったと言う

経験していなくとも辛さは同等なのではないかと思った

そもそも、その頃私は学校の学生寮に入っていてそこは結構ルールが厳しくて、テレビを見ることは許されていなかった

なので、新聞でしかその様子は分からず、両親がなぜそこまでショックを受けていたのかは最初本当にわからなかった(いま思うと本当に恐ろしいことだ)

程度の差はあれ、皆が共通に経験する、つまり集団的な歴史的変容(例えば震災や戦争)というのは個人の時間を歪める なぜならそれぞれの「日常」が歪むからだ

「いわゆる健康な生活は失われ私たちは立ちすくむことしかできなくなる」とも言える

 

話が真逆かもしれない(けどメモだから許して〜)

集団的な歴史的変容があっても個々は生きるために生活をするために日常を取り戻そうとする

しかしその日常というのは以前のものとは違って、それまでの時間とは違った時間が流れているはずである

 

そこに流れる「時間」とは、そんなことに最近は関心がある