20191214

冬の煙草は夏のそれより一段と美味しい 

寒い冬、外でぼんやり一服するとき必ず思い出すのは4年前の冬だ 
約半年ほどのポートランドでの生活から帰国し久しぶりの家族 相変わらず苦手で意見が噛み合わず、というか意見を聞いてくれさえしないひとで、この頃はまだ手をあげられていたわけで、手を上げられた瞬間目を瞑るそのときに約半年の守られた生活が幻かのように脳裏に映って あまりにしんどく逃げるように財布とケータイだけ持ち家を出て大学の近くに住む先輩の家に駆け込んだ
インターフォンを押して、ドアが開かれた瞬間彼女は細い腕で私をつよく抱きしめてくれた やっと安心して倒れ込んだ その瞬間から数日ずっとずっと私は泣いていた 彼女は何も言わずずっとそばにいてくれた

あれほど精神がすり減っていたことはそれまでもこれまでもなく記憶もほとんど曖昧で、ただ彼女の家のベッドで迎える毎朝の光がやさしかったこと コーヒーが美味しかったこと 彼女が焦ってつくってくれたうどんがあたたかったこと 夜のベランダで吸う煙草が美味しかったこと みたいなのはずっと覚えてる
家にはそれからしばらく帰らなかったけど大学は目の前にあったから数日泣き倒して落ち着いてきたらちょっと通うようになった かんぜんに彼女以外は怖くなっていたからゼミに出て頑張って笑ってお昼になればすぐに彼女の家に帰っていった 二人で映画を観たり本を読んだりコーヒーを飲んだり煙草を吸ったりそういう生活をしばらくしていた 私はたまに泣きながら、でもだんだんもとに戻っていった 

ある夜いつものようにベランダに出て煙草を吸っていたら当時好きだった先輩(というかまだあの頃は憧れ?)がともだちと一緒に下の駐車場を通りかかって、私に気がついて声をかけた(よく気付いたなって思った)
「なんでここにいるの?」「~~さんのおうちにいるんです」「さいきん学校きてないじゃん、大丈夫?」「エヘヘ~」みたいな会話 私がだれかと話してるのに気づいて彼女もベランダに出てきて「しをちゃんが他の人と話してるの見て安心した」って小声で言われた 先輩もともだちも酔っ払っててそれを見てちょっと元気が出た
それからしばらくして家に帰りもとの生活に戻った 彼女の家にはそれからもよく通っていたし泊まっていた だんだんとそれもなくなり彼女は実家に戻ったんだけど 私は院進学とそれに伴って浪人を決める あのとき下の駐車場から声をかけてきた先輩と付き合いだす その後半年くらいですぐ別れたけど

冬はあのときの生活がいつも脳裏に浮かぶ とくにベランダでのあの瞬間が あんなに毎日泣いていた生活に戻りたいとは思わないけど(私はこのどん底があるからこそいま元気なんだと思う)誰にも口出しされたくない私の大切な大切な冬の思い出 私を唯一救ってくれたひと

20191204

あっという間に12月、昨年のこと案外覚えててびっくりする
今年年明けとともにラインのトーク履歴を消したことを思い出して、ふと見てみたら(それからいちいち削除するのをやめてみた、これまではどうでもいいひととの会話はいちいち消してた)いろんなひとと連絡とっててへえ〜ってなった なっただけだけど 今年の初めまで付き合ってたひととかとのラインも残ってて不思議だった 時間は進む

論文、体調の悪さからまたやる気をなくしていたけど少しずつまたやり始めた 今日は結構進んだ気がするう〜よかった 映画館にも行きたいし大好きなともだちが年末一時帰国するから年末はたのしく過ごしたい、そのためにもいま頑張らなくては…
ライン見返してて思い出したの、社会人の「論文(笑)」みたいな態度が結構傷ついたりする
論文なんて書けばいいだけじゃん!楽勝じゃん!とか、もう学校ほとんど行ってないんでしょ!暇じゃん!いいな〜!遊ぼうよ!飲もうよ!みたいな感じが何度も何度も捲き起こるのでその度「論文が…」と言って傷つくのが地味にしんどくて最近は体調悪いとかなんだとか言って逃れている そして修論と卒論は全然違うものだと思ってる 私はね これでもポンコツだけど本当にバカだけどそれでもそれなりにベストを尽くしたいし結構真剣にやってるつもりなんだよ〜えーん まあでもそんなこと言うひとには会いたくないし、実際会ってないし、好きなひとたち(もちろんそんなこと言わないひとたち)にはわりと会ってるかも 

思い返せばなんだかイイ夜ばかり過ごしていると思う たまにイイ20代を過ごしすぎて歳をとるのがこわくなる 理由はイイ大人がいつも近くにいてくれるから 
どんととか吾妻光良とか、provokeの話しても伝わるひとが周りにいるってしあわせなことだと思う 私はこの街に生まれ育ってよかったなってよく思う 年々大好きになる街 まあムカつくことも多いけど(あとイルミネーションがダサいのもムカつく、でもそれもご愛嬌なのか…)

去年の夏はじめていったヤバな雰囲気なロックバーがあってそこにまたさいきんよく行っている 老夫婦が営んでいるお店で、入るなり紙を手渡されそこに流して欲しい曲を書くの 最高のテーマパークだよね 酒飲むのあきてこのあいだココア頼んだらめっちゃ溢れてきて、この店好き!!って思った ともだちのおじさんがスミスとかルー・リード流したりする 私はどんととかボブ・マーリーを流す そんな夜を過ごしたりしている

はたまた別の夜はよく行くお家みたいな飲み屋で瓶ビールを永遠に飲んで、そのあと中華屋で(ここも大好き!)酒片手にバカうまい蒸しパン食べて気づいたら朝になりかけるみたいな夜 さむいさむいって言いながら冬はタクシー乗っちゃう、夏は歩いて元気に帰ってたのにね だめだな〜 お酒片手に映画の話をたくさんたくさんするの ほんとうにたのしい 私は大好きなひとたちと自分たちが好きなことだったり大事にしていること、未来のこと、たくさんたくさん話すのが大好きだ 

イイ夜を更新していこうよね

20191126

論文を書いている…が、語彙力と思考回路の乏しさにより、難しい文章が書けず、一旦日記を書く

さっきさいきんイキってるモデルの少年に対する批判のツイートを見た
私は先日テレビを垂れ流していた際に彼を見て、敬語使えないのムカつくし、自分の書いている絵を現代アートと自称するのは確かに疑問が残ったが、それよりも彼の性格自体が結構面白くて好きになった(インスタフォローしちゃったもん)
というのは、彼の活力が最高だったから
私がやったもん勝ち的思考っていうのもあるけど、彼はやりたいことをただただやりまくっていて(モデルも絵もだし、音楽とかもやっちゃってる)素直でめちゃくちゃイイ!な!って思った、この行動力をこれからも見ていたいし応援したい〜と思った

ナチュラルバズりを見せていたその、ませたガキの作ったものを現代アートと紹介するな的ツイートはまあごもっともかもしれない
けど、いいねしてるのはだいたいが何もやらずして文句を言うオジサン部隊なんだろうなってつらくなった あの活力みて素直にたのしめばいいじゃん…滑稽だな…と
出る杭が打たれるのはなんかもう当たり前(というかそもそも批判がないのはおかしい)だけど何もやらずして悪口を言ったりするひとたちって本当にダサい 
それこそ仕事の話もだけど、文句をSNSに垂れ流す元気があるなら自分が少しでもストレスを感じないような環境づくりや趣味などを見つければいいのにって思っちゃう
私ももちろん社会には不満がある、けどすべてを社会のせいにするのはあまりにズルいんじゃないか
何もせず悪口ばっかり言うひとが苦手だ

20191124

好きなひとが大事すぎてどうしようもないみたいな気持ち
ずっとともだちのままでもずっと大事だし、これからも仲良くしていきたい気持ちと、このひとにもし恋人ができてしまったら立ち直れない!とか近くに(距離ではなく精神的にそばに)いたいって気持ちでずっと右往左往していた

勇気を振り絞って気持ちを伝えたらうれしい気持ちとかなしい気持ちでまたわけわかんなくなった
でもきっとこれまで異性からもらった言葉できっといちばんやさしい言葉で私はもっと相手のことが好きになったし大事だなって思った、うれしくてかなしくて明け方泣いたりした、アチャ

異性と付き合うこと、それは一人の人間としてではなく女として見られること、女は男より弱いから見下される、その瞬間対等な関係が築けなくなる 考えすぎ?でもそういう経験しかしたことがなかったから だからともだちが恋人よりいつだって大切に思うんだろうな、そこには対等な関係があるから
好きなひとは私のことを一人のひととして接してくれていて、それがたったそれだけでも私にとっては尊いもので、こんなことってあるんだっていちいち感動しちゃう

まあそんな感じで私生まれて初めてひとに告白してフラれた!フラれたのかわかんないけど!いや多分フラれた!びっくりしている!!告白して付き合ってフラれたことはあったけど!初体験よ…いわゆる付き合うとかではなくパートナーでいてほしいんだけどね(わがまま!)

でも好きなひとが経験したことを聞いていると壮絶でそんな経験したらひとと付き合うなんて嫌だよねとか思っちゃった 私はそんなこと絶対しないのになとも思った
待つことが苦手な私はいま待つことを必要とされている~論文を書いて頭を冷やします
これまでの私ならこんなことがあったら絶対どうでもいい人に駆け込むんだろうけど、なんか変わったな~変わっていく自分が好きだからそんなに落ち込んでもいない、わかんないけど

20191121

やる気がでなくてあまり論文を進めていない

今週はめずらしく二日連続ゼミに出たら満足してしまった いやいや論文を書けよ…先月の狂ったモチベーションはどこにいったのか ぼーっとするなら映画観ればいいのに映画を観るのは気が引けて天井を見上げつづけている

いつからか完全に自分が会いたいひと以外とは会わなくなった 嫌な思いをすることが本当に減ったし会いたいときに会いたいひとに会うのはたいへんたのしい この生活がもうすぐ終わってしまうんだなと思うと心苦しい、、

今年はいろんな夢が叶った1年だった 行動すればわりとなんでも叶うんだよねと改めて思ったりした で、私にはまだまだ夢があって、小さいものから大きいものまで 来年はどれが叶うのかいまからもうたのしみ 

ひとつデカい夢があって、それは今年の夏に北海道でともだちと夜中にビール片手に煙草すいながら話したこと ひとに言ったら夢見がちってバカにされるかもしれないけど実現させたいな すぐには無理だけどきっとできるもんね~

求める場所がないなら自分でつくるのみだし私の大好きな大事なともだちがたのしく生きれる環境がほしい 作っちゃおみたいな 

 

限定で超個人的なジンをつくろうかな 今年思ったこととか なんとなく考えている

20191117

ここ数日久しぶりにつら~無理~の波きててしんどい 論文書いてて自分の知識のなさや文章センスのなさにがっくりきていて ウー

今日はすきなひとと会う予定だったけど風邪をひいたらしくなしになった なんとなくそれで安心した 会いたくないわけないけど私は自分がしんどいときにひとに会うとつい当たってしまいがちもしくは過度に干渉してしまう気がするから(とここまで書いていやでも彼は私に会いたくないのかも…と思いはじめさらに落ち込んだ そしたら日暮れた 終)

今日はそんなこんなで予定がなくなったので論文書こうと思ってたけど一日中ぼーっとしてた 途中ひとりリビングで競馬みて一瞬ブチ上がったけど、私なにしてんだろう感に襲われ再びベッドに戻る 

論文を500文字だけ進める 風邪ひいたくらいで考えすぎだなって自分を慰める

私は自分が嫌だと思うこと、それは世間一般ではフツーとされていることを回避するために一生懸命で、それをフツーとするひとたちをこころの奥底で軽蔑している だからそのフツーに踏み込まなくてはいけなくなった瞬間その相手との関係をこころのなかで汚いと決め付けて勝手に大きな壁をつくっている

だからともだちを大切にしているんだろうなって思った 要はそのフツーをともだちとは介さずに済むから だから対等な関係を築くことができる 対等ってなんだろう 

ところで先日新国立美術館に行ってある展示がとても気に入りそのひとの本を買ったのだが、その後喫茶店で数ページめくり、夕方から飲酒を開始、夜中の3時過ぎに帰宅したら本が消えておりました 超私の人生っぽい 目先のたのしさに飲み込まれ大切なものを失う感じよ 

20191116

memo
茅辺かのうの『階級を選びなおす』という本があるらしい(時間があるのならこれをじっくり読みたいところだが)90年代後半の某雑誌の対談の中で「70年代的な発想」としてそれが紹介されていた

要は「強いられた階級に生きるのではなく、自分が生きていく階級を、自分で選択する 自分の意思で選んだ世界に飛び込んで、そこで生きていこうと決意する」ということが茅辺の医師であり、これが前述した「70年代的発想」らしい(茅辺はアイヌにかんする本を書いていることからアイヌという世界に飛び込んだことなどが関係しているのだろう、知らんけど)

これを某雑誌の対談者では、役を選び直すことだと語る(父や母、その他社会的に与えられた役)

高度経済成長期の混沌とした状況の中で自分がどのように生きるのかを迫られていたのではないかと、というか選択肢が増えたからこそのことだろう 中高大学とびっくりするほど勉強してこなかったのでイマイチわかんないな〜やりなおして〜(今日は友人から浜松にいるとの連絡がきて、浜松ってどこ…ってなった マジ根本的教養がな…い…)

ともあれこの対談を読んで私は増村保造『巨人と玩具』だったり、吉田喜重『血は渇いてる』あとは羽仁進の作品を幾つか思い出したというわけである